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伊勢神宮奉献野菜

お盆や神棚、祭事、地鎮祭の鎮物などのお供えに。
農薬や化学肥料を使わず精魂込めて育てた作物が認められ、地元直売所を通じて伊勢神宮へ奉献されました。

由緒ある伊賀柘植は古くから伊勢神宮と縁があり、年に一度執り行われる「柘植の斎王群行」が有名です。

伊賀の斎王群行について

斎王群行

平安京遷都(794年)から阿須波道開通(886年)までの92年間、柘植の里は雅かな斎王群行の表舞台の役割を果たしてきました。

柘植の斎王群行では、京の都での「別れのお櫛」の後、斎王群行第3日目、勢田頓宮、甲賀頓宮の宿泊をへて、この近江の国から伊賀の国・柘植にお国入りした、斎王を奉ずる長奉送使の一行、300名を超える群行を迎えての平安絵巻を、より華々しく再現しています。

斎王とは、群行の歩み

斎王群行

伊賀の国・柘植郷は、京都に都が遷った約1200年前の、延暦13年(794年)から仁和2年(886年)までの92年間、古代・東海道筋の交通の要衝として、当時の国家的大事業といえる斎王群行の表舞台での役割を果たしてきました。

斎王とは、国の安全と平和を祈願するため、京の都から伊勢神宮へ派遣され、天皇の名代として神に仕えた人のことです。斎王は、皇女や皇族の未婚の女性から卜定(ぼくじょう)という占いによって選ばれました。

斎王に選ばれると、都で2年間精進潔斎し、3年目に、いよいよ5泊6日の日程で、伊勢の斎宮に向かいます。

旅立ちの日、斎王一行は、昼頃に潔斎場所の野宮を発ち、禊を終えて平安京に戻り、そして、天皇の待つ大極殿に入ります。

この時、天皇は斎王の額に櫛を挿します。「お別れのお櫛」と呼ばれる儀式です。

そして「都のかたにおもむきたまふな」と声を掛けます。都に帰って来るなとも、都を振り返らずに真っ直ぐに行け、とも理解できる別れの言葉です。

見送りの勅使以下300人を超える斎王の一行は、真夜中の京の都を離れ、遠い伊勢に向かって文字通り群れになって旅立ちます。

「斎王群行」と呼ばれる古代の大イベントです。

斎王群行

斎王が道中で泊まられる所を「頓宮」と呼び、群行決定の都度、仮宮として設けられました。

都を出た斎王群行は、二条大橋から現在の岡崎公園を経て、深夜の山科を越えます。

そして近江の国に入り、琵琶湖を左手に瀬田川を渡って「勢多の頓宮」に一夜目の宿泊をします。

二日目は、東海道を野州川に沿って東に進み、「甲賀の頓宮」で二夜目の宿を取られます。

そして、三日目は、杣川と呼ばれる野州川上流に沿って進み、伊賀の国・柘植に入ります。

進入路は鞆田側からなのか、倉歴側からかはわかっていません。

この斎王群行行路が当時の中柘植を通り、その頓宮として「斎宮芝」がありました。

この地は、柘植側と倉部川との合流点であり、『三国地誌』にも斎宮芝中柘植村とあります。

サイカはサイクウの訛り、シバは神霊の座所の意と言われています。

斎王群行

伊賀頓宮が造営された、平安初期の92年間に、任命された斎王は11名でした。ですが、1名は群行をしませんでしたし、もう1名は、鈴鹿峠道が開通したので、新ルートで群行したため、伊賀頓宮へ宿泊されたのは9名の斎王でした。

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